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南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

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 (10)天国への階段


《10月―天国と地獄のあいだには》 ~2002年10月の記録

 ∬第10話 天国への階段

電話が鳴った。カルカンの兄からだった。上の娘が出したお礼の手紙がもう着いたと、喜んで知らせてきてくれたのだ。

今年初めの不慮の事故の後1ヶ月くらいして、私たちの留守中に我が家を突然訪ねてくれたことを思い出した。亡くした娘の面影を求めて、カルカンからわざわざ我が家の娘たちに会いにやって来たのだった。
そこに行き会ったカプジュ(管理人)の話では、1時間あまり、取り乱し涙に暮れながら私たちの帰りを待っていたということだった。
結局会えずじまいでカルカンに帰ることになった兄の心中はどれほどだったか。マンションの外で待ちながら、亡くした娘のこと、妻のことを繰り返し思い出し、自分が何もしてやれなかったという後悔ばかりが波のように寄せては返していたに違いない。

兄は我が家の娘の、特に上の方を気に入り、形見をいくつか手渡してくれていた。
そんな兄の心に少しでも安らぎが訪れればと、夫が気を利かせて娘に手紙を書かせたのだった。
今まであまり親交のなかった兄だが、これをきっかけに行き来するようになれば、今のような酒びたりの生活から少しでも抜け出すための一筋の光を、兄の心に投げかけることができるかも知れないと、そう思えるのだ。

何年もの間、日本の家族を省みることなく、自分の思った道ばかりを突き進んできた私が、今また日本と遠く離れたトルコで、自分たちだけの安穏とした生活を送っている。
そんな私に、日本の家族に代わってトルコの家族を大切にするように、そう天が命じているのかもしれない。

夫の家族や友人を心から歓迎しもてなすこと。最初のうち、これは私にとってまるで試練以外の何物でもない、天から降ってきた不運のような気がしたこともあった。
私が生まれ育った日本の実家は、盆、正月、法事などの折、親戚縁者が集まる本家の役割を果たしており、そこの嫁として中心になって客人の世話をする母の苦労をつぶさに見てきたせいか、客をもてなすということの苦労ばかりが思い出され、客人を喜んで迎え入れるということに長らく苦手意識を持っていたからだ。

しかし、トルコの人々にどこへ行っても快く歓迎され、自宅に泊まれと勧められたり、心尽くしの料理で歓待されたりするうち、また、夫の友人を時おり食事に招待するという経験を通じて、私の心の内側から苦手意識が少しずつ剥がれ落ちていったような気がする。
今でも慌てるところは変わらないものの、できることを精一杯すること、そうすれば皆満足して帰って行ってくれる、そんな風に受け止められるようになった。

試練と思えたのは、実は苦しみでも何でもなく、乗り越えれば喜びと充実感が待っている、天国につながる階段なのではないか。
再び戻った日常の中で、ふとそんなことを考えてみるのだった。

 おわり




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